いくじくこ。

何かが見える前の前。意味もなく育児(&自)やってます。

直属の親類に鬼がいます 〜ソフトACカミングアウト❶〜

どうものもうど、鬼は外の福は内。

皆様、鬼の侵入に備え、喜び勇んで豆を投げてる最中でしょうか?

はたまた豆もまき終え、鬼の侵入経路を塞いでホッと胸をなでおろしたところでしょうか?

 

じくこです。

豆をまき終えたらでいいので、聞いてください。

 

節分の豆を持って思案中の母と鬼の面を差し出す女児

世が一斉に鬼の締め出しに取り掛かる今日。

じくことムスメ、鬼の住処に潜入しています。

とゆーのも…

直系の母親が鬼です

オットは長期出張。

何の因果か節分当日に鬼の懐に入り込んでしまった惨事。

鬼の住処、実家に帰省中いま。

 

以前にお伝えした通り、じくこには甚だ相容れない人物がおります。

まごうことなき、生みの親で育ての母。

幾度となく「ひょっとして産みの親ではないかも?」との疑念を振り払いながら今日を迎えました。

前世は閻魔の側近だったんじゃ?

 

鬼母と呼んでいます(アドレス帳には「鬼」で登録)。 

www.iiikujiii.com

まずは鬼の人物像からお伝えします。

 

基本姿勢はスーパードライ

結婚式での感動が最高潮に盛り上がる花嫁の手紙朗読。

あの場面で、一粒の涙もこぼさない母親を見たことはあるでしょうか?

じくこは1度だけあります、自分の結婚式で。

今後も、お目にかかる機会はないでしょう。

 

しかも、母親に花をもたせようと企てた、列席者全員の前でのベールダウン。

ベールをダウンされながら「アンタ本気でしっかりやんなさいよ」的お小言を言われた花嫁、います?

挙式を思い返すと鬼母の小言しか脳内再生されない、忘れがたい思い出です。

 

身内に激辛、世間に優しい

批判することでしか家族とのコミュニケーションがとれない、ある種コミュ障。

身内に近づけば近づくほど、お咎めが厳しくなります。

 

不思議なのが、身内以外へは心から寛大な気持ちでいるところ。

とゆーのも、長年接客業に携わってきたバリキャリ仕事人間。

神様であるお客様信奉者。

※自分がお客の立場の時は、態度ビッグになるカンジの悪さ

 

好感度だけは無駄に高く、世間様とはすこぶる良好な関係を築いております。

しかしながら、彼女に友人と呼べる人物は一人もいません。

つまりはそーゆーこと。

 

さらに、彼女の娘達(じくこと姉)へのダメ出しの多くは、周囲との比較のもと行われます。

娘達の劣っている箇所を見つける嗅覚は警察犬並み

なーのーに「あそこの家は〜」とのコッチ側の主張には「ヨソはヨソ!」一蹴。

めちゃくちゃな一貫性の欠如。

 

娘のコトは絶対褒めないのに、娘の友人や世間様は率先して賞賛。これって…

自分に厳しい

→自己評価もダダ下がり

→哀しくも自己の欠点にばかり目がいく

→他者を羨望視せずにはいられない。

こーゆー図式。

バランス悪すぎなんじゃ…?

 

周囲を羨むしかできない悲しい性分は、二人の娘(じくこ&姉)へもれなく伝承されました。

自分を卑下するのは本人の自由なので、一向に構わないです。

ただ、伝承された身としては無理やり道連れになった気分。

よりによって自分卑下路線しか選択できなかったの?

自分のみでで止めときゃいいものを、娘ディスリングもセットだったし。

甚だ疑問。

 

言った分の回収ナシ!

垂れ流し放置です。

叱責が多い割には、子供に入れ込んでる様子はかけらもなく、仕事命。

自分が目につくポイントをあげつらえ、言い逃げ。

か ん た ん 。

何も生みません。

子育て中の我が身にも、思い当たる節…なくはないです(反省)。

言うだけって手がぁ〜る(手軽)。

目につくトコを、己の感情にまかせて批判ってめっちゃ楽。

特に逆らわない相手への批判は、淀みなく口から滑り出るもんで。

叱咤オンリー激励ナシ。

どうすればいいか?のレクチャーもナシ。

 

で、どうなるか?

 

じくこは我が身を見つめこれが答えなんだろうなぁと己の仕上がり具合をしみじみと憂うことがままあります。

心地のいい感情ではないです。

沈黙って愛と忍耐

ムスメを授かって知った、我慢と沈黙の難しさ。

しかも「あなたの為」って呪文ほどトリッキーなもんはなく。

これは自分への戒めでもあるけど、本当気をつけなきゃヤベェぞと。

大概はコントロールフリークなだけで、愛情でもなんでもなーい。

我が子が母親の意にそぐわないキャラだったとして、そこも含めて愛してあげる(フリでもいいからする)のが親心ってもんなんじゃ?と、めっちゃ思う今。

手も口も出さずに信頼し委ねることの難しさよ。

余裕と忍耐が問われます。

 

鬼母はと言えば、家庭も仕事も一手に担いキャパオーバー。

子供に関わる暇がなかった。

どっからどーみても仕事向きで、本人も「昔は子供苦手だった」って白状してましたし。

人である以上、得手不得手は付きもの。

子育てが苦手だったのも理解できます。

 

ただ、どうしても我慢ならんことがありまして。

ムスメを産んでから増量した、鬼母からのプロ母目線の指図。

本人はアドバイスのつもりでしょうが、語尾に必ず「しなきゃ(ダメ)」がくっ付いてる、否定命令形。

言われるのも分かります、じくこ、全く出来た母親じゃないですもの。

ムスメ生誕1年経っても「自分、未熟ですから」と己をルーキーへ仕立て上げ、ダメな部分は見て見ぬフリ。

努力を差し置いて「向いてないし」で片付ける逃げ足の速さ。

正真正銘のダメ母です。

 

 

 

だからですね、誰にね、言われてもいいんですよ、ええ。

でもですね、あのですね、ただですね…

あんた(鬼母)だけには言われたくなーい。

しかも「ムスメの幸せだけを考えて生きなさい」等、どの口が!?的ビックリ発言まで飛び出す調子の良さ。 

 

犬も食わない水掛け論

 

あの…さぁ、言わないでいることも愛情だからね?

信じて見守ることの方が難しいからね?

 

 

親が言わないで誰が言うの!

 

 

や、したがりなだけって気づこうよ?

母さんの批判ってほとんど趣味。

批判=嗜好品=中毒。

ストレス発散して、スッキリするだろうけど。

目の前の娘(じくこ)の有様、ど?

立派になってる?

 

 

きちんと育たなかったアンタが悪い!

 

 

 

 

 

 

なんて理論。

身に覚えがないと、張本人(育てられサイド)がハッキリ宣言してるのに、本人でもない逆張本人(鬼母)のこの言い様。

はてさて全否定にさらされ続け、さぞや批判耐性に強いメンタルが育まれたかといえば…

ネガ発言の功罪

逆です。真逆。

好例が出回ってました↓

buzzmag.jp

 

ネガ発言に当てられ続けるのって、人間の性に合わないんだと思います。

むしろ否定批判される辛さが五臓六腑に染み渡ってる分、全力で避けるようになります。

 

最初の居場所でもある家庭って人格形成の土台で足場。

そこが不安定ガタガタだと、その上に自己構築できるハズもなく…。

最終、心に邪鬼を飼うカメハメに。

 

最初に触れる全宇宙、親。

そこに全否定されることは、自分の根っこを根こそぎ引っこ抜かれるよーなもんで。

社会進出にも二の足を踏むように。

出ていけないんです怖くて。

飛び込めない自分を責めるからまた自信喪失。

自分の劣っている部分or物事のダークサイにしか目がいかず、相手からの「意見」=「否定」直結。

被害妄想肥大化。いいトコ無っし。

コミュニケーション=否定

コミュニケーションも、基本「否定」からしか入れなくなります。

忘れもしない、高校時代。

友人にいきなり「ずっと我慢してたけどさぁ、何でじくこはいっつも否定から入るの!?ねぇ何で!?」とブヂギレられて以来、人との関わり方が分からなくなりました。

その時初めて、両親の物言いソックリになってる自分にブチ当たります。

他者第一主義で自分は置き去り=空洞化

そうなると今度は必要以上に我慢するように。

自分を落として、相手に受け入れられようと必死に歪み倒します。

末路は悲惨。

自分を安売りした結果、相手からも粗末に扱われる現実が待ってます。

招いたのは自分とはいえ、シュールが過ぎます。

 

そればかりか、人の目や意見にばかり気になって、本当気持ちが掴めなくなり…デフォルト空虚さと隣り合わせ。

「好き?嫌い?快?不快?いい?悪い?」の感情判断機能が弱体化ヨボヨボ。

自分の感情を疑ってしまうんですってば!

そんな、常人ならばにわかには信じがたい珍事が自分の中で頻発。

 

自分の存在を排除され続けてきたから、排除をこの上なく恐れます。

子供時代に取りこぼした承認欲求。

そこが満たされてないから、他者に認められることだけに無情の幸せを見出したが最後。

人の顔色ばかり伺い、相手の中に巣作りすることに尽力。

(自分の中にしか、居場所って作れないのにね。)

自分の気持ちは置き去り。

その内、置いてきた場所忘れちゃって、自己形成の重要パーツ「感覚・感情・趣向」が行方不明に。

そうなって慌てて心に捜索願出しても、取り戻すのは至難の技。

 

大事にされた経験がないと、自分を大事にできません。

やり方わかんないんですもん。

今、子供授かって心底思います。

どんなに価値が見出せなくても自分のことは大事にしなきゃダメだったんです。

無理やりでいいから。

思い込みでいいから。

自分を切り捨てて社会や人と関わるのが癖付くと、自己を取り戻せなくなります。

人がダメなら自己実現方向で…

コミュ方面全滅、じゃあ人以外の「モノ」方向で好きなことを!

と気を取り直したとてびっくり仰天。

何ひとつとして選び取れません。

軽くやってみりゃいいのに、失敗が何よりも恐怖。

通常モードでダメ出しされ続けてきたのに、失敗なんてしようもんなら、どんな八つ裂き?ブルブルブル…で挑戦できない、と。

しかも自己肯定感が育ってないので、選び取る対象に不信感しか湧かない。

自分が選び取るものに「イケてなさ」しか感じられません。

「こいつ(←自分)のリコメンド、ショボそう…」と、心からハマることができません。

ハマれないから何事にも熱中できず

→熱中体験がない

→経験積めない

→選択(決断)力も薄まる一方

それに比例し、生きてる手応えも弱体化。

気分はさながら夜の海

そんなんだから、四六時中ハイパー不安バラッド。

不安のさらに奥底に【空虚】がジメッと広がり出します。

底抜けの恐怖体験。

夜の海に投げ出されて、必死こいてもがきまくってるけど灯台も見えない。

そーゆー気持ち……?

 

 

 

 

 

あ、、、夜の海は言い過ぎカモ。

節分ミッドナイトで盛りすぎた感。

夜の山道くらいです。

自ら率先して迷い込んでるオチ。

海ほどではないけど、相当ホラーであることはご想像いただけるかと。

このへんの恐怖と生きづらさの正体については次回。

 

それにつけてもビターな節分を予見するかのごとくドヘビーな内容。

皆様のまいた豆の回収が終わらない内に、続き更新目指します。

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